2008年12月27日土曜日

奥城参拝

今年最後の奥城参拝を行いました。

今日は朝昼に雪が舞う中、信者さんと共に参拝させていただきました。

金光教ではお墓を奥城(おくつき)と呼んでいます。

呼び方については、各お教会で違うところがあると思います。

前橋教会ではおくつきと呼んでおります。

このことについては、詳しい方がいらっしゃいますので、

また後日ご説明させていただきたいと思います。



私は奥城参拝(お墓参り)をする時、祖父母に会いに行くような感覚があります。

教会にも霊前がありますが、そこよりももっと話ができるような、

今の姿を見せることができているような感覚があります。

1人で参拝する時もありますが、その時はちょっとでも長く居たい感じになります。

何とも説明がうまくできないのですが、

参拝というのは、そういったものなのかなと思います。

2008年11月30日日曜日

外灯に電気が戻りました。


「金光教」の文字を教会長が書き直したことを、以前お伝えしました。
そして電灯の修理も終わり、外灯がつくようになりました。
今まで外からの目印となってくれていた外灯。
ようやく外灯本来の役目を果たせるようになりました。
これからも目印となって働いていただくように、
ケアを大切にしてきたいものです。

冬支度


信者さんに境内の木を切っていただき、冬に向けての作業を行いました。
行ったと言っても、だいぶ前のことなのですが…。
かなりの量になりました。


こちらは桧葉。日に当たる部分とで少しずつ色の変化が見られます。

「生きている」というのを、改めて実感しますね。

2008年11月4日火曜日

スポーツボランティア 試合

本日、試合を行うことができました。
2試合予定していましたが、1試合は中止になってしまって、
やっとの公式戦でした。

風の強いグラウンドで、選手の皆さんはかなり疲れたかと思います。
本当にお疲れさまでした。

試合結果は…15-2で敗れました。

勝機はあったのですが…あと1本が出なかったですね。

試合展開上、1人バッティングをさせてあげることができなかったのが心残りです。
守備機会があったので、それで許してもらえないかなぁ…と願っております。

この日に向けて、夏の暑い中練習に励んできましたし、
打つ方も去年よりよくなっていました。

また長いシーズンオフになりますが、ひとまずゆっくり休んでもらいたいですね。

2008年10月20日月曜日

スポーツボランティア


今月中旬に予定していたソフトボール大会は雨のため順延。
来月に2試合を行う予定です。
今回は監督業なのですが…選手の選考が難しい。
わがチームは公式戦でいまだ勝ちがありません。
スターティングメンバーとベンチスタートの選手をどうするか。
また継投のタイミングも難しいところです。
今回の大会は何と交代が自由。
とてもありがたいルールなんですけど、全員出させてあげられる反面、
試合展開によっては主力中心でいきたいところです。
どちらにせよ大差がついた場合はある意味楽なんですけど、
そんなこと考えていると判断が鈍くなります。
自分が試合に出てやればどれだけ楽なんだろうとか思いますけど、
こういった役割をいただいているんですから、全うしたいですね。
WBCの監督問題も出てますけど、監督業は意外と大変なんです。
…と皆さんに伝えて、
メンバー表とスコアブックとにらめっこしている昼下がりです。

2008年10月15日水曜日

境内の柿が実をつけました。


今年は例年より早いような感じです。
境内には柿が2種類あって、こちらの平べったい形のと、縦長のものとあります。
幸い、両方ともに甘柿です。
もう鳥たちの方が知っているようで、ついばんだ様子のものもありました。
かなりの年数が経っている木なのですが、例年多くの実をつけてくれています。

2008年9月29日月曜日

食あたり

28日、秋季霊大祭が仕えられました。
私は…なんと食あたりで点滴を受けてまいりました。
若先生と呼ばれる立場ながら、準備はおろか当日の御用もできず…。
夏の疲れが出た模様です。
約1日半食事ができず…食べるって大切ですね。
点滴だけでも体は持つんですけど、力が出ない…。
昨日の診察を終え、食事の許可が出ましたので、
ぼちぼち食べてまいりたいと思います。
先輩教師でもある父母は
「みんなの代わりに引き受けてくれてありがとね」と
ありがたきお言葉をかけてくれました。
こういった言葉をいただくと、気持ちが楽になります。
特に父は準備がたいへんだったことと思います。
嘔吐が収まり、お便りも通常の状態に戻りつつあります。
こういう時は特に「普通」と言われる状態がどれほどありがたいのか―。
身に染みて感じられますね。

2008年9月21日日曜日

明るさ


電車の中から撮りました。

窓に反射するのは、車輌内のもの。

昼間に撮れば外の景色が映りますが、

夜に撮ると内側が映ります。

光について、詳しいことは分からないのですが、

明るさによって窓に映るものが変わってくるようです。

内側が明るいから、内側が映ってくる。

これは気持ちや心と通じるものがあるんじゃないかなって思うんです。

明るい方が見えてくる。

内側が明るければ、内側が映ってくる。

フラッシュをすれば…つまり、光を放ったなら、

光が窓に映り込む。

発するものと被写体の関係ってことになるんでしょうか。

自らが発光体となれば、自らが窓に映り込むことになるわけです。

鏡と違って窓だから見えてきた世界。

それも車窓だから映り込んだ世界。

そんな光景に出会って、何となく自分を見つめ返した帰路でした。

2008年9月19日金曜日

殊勲賞



いただいてしまいました。しかも中近組で。

初めてのソフトボール大会出場。

群馬県からの参加はおそらく一番遠かったかと思います。

私自身、ソフトボールチームの監督をしてますので、

これで少しは胸を張れるかな?と思います。

額に入れてみると、思いの外いい感じですね。

2008年8月29日金曜日

ご霊祭に向けて

秋季霊祭に向けて、女子部で作業を行いました。


梱包用に使う紐を編んで、写真中央にあるような箱を作っています。
これは秋季霊祭に合わせての健老感謝祭にて、
健老者の方へのお祝い品とする予定です。
本当にいつもアイデアを練って素敵なものを作っていただいています。

2008年8月18日月曜日

フォーゲルキャンプ


金光教フォーゲルキャンプに参加してきました。
写真は天麩羅を作っているところ。
もちろん僕は料理できません。
キャンプで天麩羅なんてオシャレな感じです。
この日の昼食はそば&うどん。
さすがに子供達も体力が落ちてくると食べやすいメニューが良いみたいですね。
それにしても、すぐ友だちになれる子どもの適応力には驚かされます。
ケンカもするけど、一緒に過ごした時間はかけがえのないものになります。
天地を存分に味わって、この経験をちょっとした自信にして欲しいです。

2008年7月31日木曜日

タイムトリップ

スポーツボランティアの帰り、以前から気になっていた橋に近づいてみました。
ここだけ明らかに昔のもので、
ここを渡ったら違う世界に行けちゃいそうな気もしてて。
トトロの影響受け過ぎですかね。
車でおっかなびっくり通ってみました。
何も変わってはいないんですけど、
時間の流れ方がちょっと違ったような気もしてて。
この橋から見る景色はいつもと違うような感じもしたり。
ふと近づいてみたくなって、ふと渡ってみたくなって。
こういう感覚を生み出してくれるものは、できるだけ残してもらいたいものです。

2008年7月29日火曜日

いのち

ブログを見てくださった方からご意見をいただきました。
「鳥と蜂とで違うのは当たり前。被害が出たらそれこそ大事になる」。
それもそうなんだけど…と思っているのを見透かされたのか、
「歩いているうちに蟻を踏んで殺してしまっているかも知れない。」
そして「様々ないのちの上に私たち人間は生きている」と続けられました。
なるほどなぁ…と。

私たちは、本当に多くのいのちの中を通って生活をしている。
食べるということは、その物のいのちを取っていることであるし、
知らず知らずのうちに、様々ないのちの上に立って生きている。

自分が生かされている存在っていうのは何となく分かるんですけど、
自覚されてない部分があって、それとは別に積み重ねられたいのちがあるわけで。
そこを考え出すと、身動きが取れなくなってしまいそうですが…。

ご意見をくださった方は、こうも言ってくれました。
「これからのテーマにすればいい」と。

鳥の巣と蜂の巣から、人間が快適な環境を求めれば求めるほど、
住みづらい環境に追いやってしまっている部分ってのを思い知らされました。
そこで立ち止まるのではなく、そこからどうするのかってことが大切ではあります。

共存や共生という言葉はよく聞きますが、改めて自分のテーマとして、
信仰を持って歩ませていただきたいと思います。

2008年7月21日月曜日

居場所

以前ご紹介した鳥の巣
気が付いたら傾いた状態でした。
中も空っぽ。
猫にやられたのか、風雨にやられたのか分かりません。
残念ではあります。

こちらは物干しの洗濯ばさみにできた蜂の巣。

これは乗っかっているのではなくて、

洗濯ばさみにわざわざ作られたんです。

こちらは殺虫剤にて…外しました。

鳥は生かして蜂は殺すのかと自問して…

自答はできませんでした。

危ないって理由です。

深く考え過ぎでしょうか。

人間が作り上げていく社会、そして世界。

鳥たちや虫(蜂)たちはどのように眺めているでしょうか。

2008年7月17日木曜日

巣立ちまで


境内に鳥の巣ができました。
それにしてもビニールやら枝やら、
よくこしらえたものだなと感心してしまいます。
作りかけの時、「撤去して欲しい」と頼まれたのですが、
可哀想だという気持ちがあって、無理を言って残してもらいました。
衛生面から考えると難しいところではあります。
なぜ残そうかと思ったかいいますと、
夜に仕事から帰って来たとき、野良猫が登っていたんですね。
慌てて猫を追い払いまして。。。
なぜかそれから守りたくなる…まぁ見守りたくなったんです。
今日になって餌をせびる鳴き声が聞こえてきました。
何かちょっと嬉しかったです。
小鳥たちが巣立った時には、巣を撤去しようと思います。
それまではどうか元気に育って欲しいと願っています。

2008年7月15日火曜日

スポーツ大会

今日はボランティアで、群馬アリーナへお手伝いに行ってきました。

県の大会で、ソフトバレーボールです。


優勝チームは関東大会に出場します。

参加者は選手・スタッフを含め220名と大きな大会です。

チームは残念ながら2回戦敗退。


しかしながら、優勝したチーム(何連覇かしてるチームです)に


一時は互角の試合をしていました。


だいぶ練習を重ね、期待もあっただけに残念です。


ボールを繋ごうとする姿には胸を打たれるものがありました。


1回戦終了後、対戦した相手チームの選手にたまたまトイレで出会いました。


「お疲れさまでした」と声をかけると

「ボールを拾わせてばかりですみませんでした」と返ってきました。

思いもよらない言葉に驚きました。

僕がボール拾いをしていたことを覚えていてくれたのです。


僕としてはその言葉だけで、素敵な一日になりました。

2008年7月9日水曜日

バレーボール

ボランティアで伺っているデイケアにて、
スポーツのプログラムの時、顔を出しています。
来週はバレーボール大会。
今回は専門ではないので、アシスタント的な役割です。
チームとしてまとまってきて、とても楽しみであります。

その練習にこれまで参加してきて、
バレーボールって改めて面白いなぁと思っています。
繋ぐというプレイスタイル。
次のチームメイトに託しながら、
チャンスを伺うスポーツなんですよね。

ラリーポイント制になって、ミスが直接点に結びつくってのは、
結構シビアな感じはしますけど、次から次へと切り替えていく。
サーブのボールがいったん打ち込まれたなら、落ちるまで続くスポーツ。
体力と精神とが要求されるスポーツです。
もちろん集中力の持続も。

暑い中、体育館で練習を重ねて、会うたびに上達していくチームを見て、
何とか優勝を掴みとってもらいたいものです。

先ずは怪我をせず、万全の態勢で臨めるよう願っています。

2008年7月4日金曜日

外灯をちょっと直しました。

外灯の看板の字が薄くなってきたので取り外して、
文字を書き直しました。
けっこう高い所にあるので、おっかなびっくり梯子で上って…。

ペンキだとたれてしまうということで、ポスターカラーみたいなもので書きました。
改めて、これを目印にして来られた方も居るんだろうなと思いながら。
しかしながら、蛍光灯を替えてみたものの、灯りはつかず…
こればっかりは専門の方でないと難しいかも知れません。
少しずつではありますが、
年月にまたひとつ重ねさせて頂けるように。
そして、
新たな目印となってもらえるようにと願います。

2008年7月1日火曜日

玄関に手すりがつけられました。

杖をついての参拝者も増えてきたため、ある信徒の方が手すりをつけてくださいました。

以前からあるような、同じ色のものを見つけてきてくださいました。

写真では分かりにくいかも知れませんが、

とてもしっかりとしたものです。

少しでも参拝への不安や心配をなくして、

安心して参拝できる教会にならせていただきたいと願っています。

2008年6月20日金曜日

たこさんソーセージ


境内の柘榴の木。
花と共に実も落ちておりました。
子どもの時はお弁当のソーセージに似ていたので、
よく拾って遊んでいました。
柘榴の木も年を重ねるに連れて、
余分な実は自ら落としているようにも思います。
実をつける分を決めているかのようです。
ここでも学ぶべき何かがあるように思います。

2008年6月16日月曜日

目に飛び込んで来るもの

出張からの帰り、高崎駅で両毛線に乗り換えて前橋駅まで。

高崎から15分くらいですが、疲れもあり、座れなくて辛いなぁと思っていて。

そうしたら、車窓越し、線路の真ん中に草が生えていました。



使われている線路なので、そのうち抜かれるか、

伸びても列車に轢かれてしまうでしょう。

…でも、草は草として、草らしく生きているんですよね。

たまたまそこに線路があっただけの話。

草として生きているだけのこと。

そんな堂々としている草を見て、

疲れに心まで萎んでいる自分が情けなくて、

笑えてきてしまいました。

何に疲れているんだろうって。

このタイミングで目に飛び込んできたもの。

まだキャッチできていることが、

ありがたく思えた出張の帰り道でした。

2008年6月12日木曜日

車椅子ボランティア

今年2回目の車椅子ボランティアに参加しました。
場所は都市緑化フェアに合わせて整地されたバラ園です。
車椅子のスロープが出来ていて、乗り入れしやすくなっていましたが、
もう少しスロープがあっても良かったかなと思いました。
車椅子ボランティアに参加するようになって、
バリアフリーの見方がだいぶ変わったように思います。
「車椅子でも入れるんだ」では、まだ不十分なんですよね。
それに「押してもらう」ということが前提の勾配だと、
見られる人が限られてしまうなということも感じました。
それでも園内は見違えるように整えられていて、
会話も弾み、楽しい一時を過ごすことができました。

花がキレイ。
当たり前のようですけど、この当たり前があるから、
散策に行こうとか、出かけようという気持ちが沸き起こるわけです。
花が花らしく咲いてくれるから楽しむことができる。
人間も人間らしく生きなければと教えられた一日でもありました。

2008年6月5日木曜日

梅と雨

今日は境内の梅を収穫しました。
しとしと雨が降っていて、文字通りの梅雨を思わせる日でした。

収穫した梅の中で2つほど、蜜が出ているものがありました。

虫が開けたのかどうかは分かりませんが、

木になっている時から写真のような状態でした。

正直、雨が降っていたので早く終わらせようと思っていたのですが、

綺麗で、それでいて不思議な梅の表情を見つけて、ハッと思いました。

「あぁ。生きているんだな」って。

早く終わらせようとしていた自分。

梅に対して何とも申し訳ない気持ちになりました。

梅としては、ありのままの姿なんでしょうけどね。

ありのままが、当たり前に思えたら、ダメなんでしょうね。

2008年5月26日月曜日

地鎮祭

先日、地鎮祭を仕えました。

金光教では
「神である土地にお礼申し上げ、工事中の安全を祈願し、その家を願う」
儀式です。

…といっても、私はお手伝いでいきました。

まだまだ祭主を仕える立場ではありません。


写真は土地を浄めるためにまかれた塩です。



不浄穢れを浄めるためにまく、というものですが、


パソコンのシステムツールで言えば「デフラグ」になるかと思います。


知らず知らずのご無礼不行き届きをお詫びし、土地を浄めるためのものです。


浄めることを通して、自らの心をも綺麗にしていくのだとも思います。


前橋は風の強いところです。


以前地鎮祭を行った時に、強風で天地書附を奉掲していた額が倒れ、


割れてしまったことがありました。


祭典後、工事関係者の方が「神風が吹きましたね」と

仰ったことを覚えています。


これは単なるプラス思考ではなく

「地鎮祭を仕えた。さあ、これから建築するぞ」というような、

心の面での準備が整っておられたから、言われた言葉だと思います。


単に儀式を仕えるのではなく、その時の心の持ちようがどうであるか。


信仰をする上で迷いのない姿勢を改めて教えられた、

私の大切なエピソードです。

2008年5月15日木曜日

茶道練習会

毎年、初釜をはじめ、1月を中心にボランティア活動をしておりましたが、
このたび、茶道の練習会がはじまりました。
ひとつひとつの動きに、
皆さん、真剣に取り組んでおられました。

もてなしの心とでもいうのでしょうか。

足の運び方やお椀の置き方、拭き方から回し方まで、それぞれに理由があり、

改めて茶道というものの奥深さを知ることができました。

2008年5月4日日曜日

渋滞ならではの


帰り道でいつも使っている裏道。
見事に渋滞にはまりました。片側交互通行でした。
停車中に写真を撮ってみて、送電線ってスゴイなぁとか思ったり。
川岸にはゴルフコース。声は聞こえないけど白い歯がこぼれていて。
風に揺られる水面の波形が均等に伸びていって、
いつの間にかなくなってしまったなぁ…。
そんなこと考えていたら、クラクションを軽く鳴らされて、
ニュートラルからドライブモードへ。
ちょっと進んでまた止まって。今度は違う景色になって。
次はクラクションを鳴らされないように、ちょっと斜め前を見る感じでぼんやりと。
高速道路ではこうはいかないですが、信号待ちにはない、
この待ち方も楽しみたいものです。
毎回こう思えたら良いのでしょうけど、まだまだ人間ができておりません。
「損をした」と思ったら、損をしたまでのこと。
「いつもと違う風景を見られた」と思ったら、発見までがついてくる。
プラスとまではいなかくても“ややプラス”を蓄積していきたいものです。

2008年5月1日木曜日

雨後の筍

食べるのには成長し過ぎたものですが…
採らないと、どこまでも根が広がってしまうこともありまして…

地面の下に根を張り巡らせて、
雨後には一斉に地面に顔を出す筍。
中にはコンクリートを持ち上げているものもありました。
竹の子どもを食べようなんて、誰が始めたんでしょうかね。
動物が食べているのを見てから、食べるようになったとか聞きます。
「食物」はそれぞれにいのちを繋いで、
それを紡いで私たちは生きていることになるわけですね。
改めて、筍の、その驚異的な生命力に、
「人間としての生きる力は近づけているのだろうか」とか、
そんなことを考えた初夏を思わせる日でございました。

2008年4月25日金曜日

車椅子ボランティア

車椅子を押すボランティアに、芝桜公園に行ってきました。
金光教やつなみボランティアという団体で登録しています。
ちょうど見頃で、楽しませてもらいました。
斜面に作られていたので、坂道はけっこうしんどかったです。
休憩時に、フルーツミックスジュースをいただきました。
親切なシェフがわざわざ届けてくださった一こま。
暖かい日で、冷たいジュースも美味しかったです。

2008年4月19日土曜日

境内の八重桜

境内の八重桜です。大雨と強風にも花は残ってくれました。

一般的な桜と違って、ひとつの箇所にまとまって花をつけるのが特徴でしょうか。
その特徴のおかげで花が残った感じです。
毎年、桜吹雪となってから花をつけ始め、目を楽しませてくれています。

2008年4月11日金曜日

切り絵の世界

今日は知り合いの作品を見に行ってきました。
切り絵を始めて3年くらいとのこと。
「まだまだ」とは仰いましたが、素晴らしい作品を見ることができました。
残念ながら撮影禁止のため、写真は掲載できませんです。
黒を背景に、絵が浮かんで見える技法や
白を背景に黒のみで作られたもの。
また、和紙をブラッシングでぼかしたものなど、作風もいろいろあり、
水彩画や油絵かと見間違うものもありました。
スケッチしたものも、切り絵で作るというのが一般的なようです。
つまりは、切り絵を作るのに、2回絵を描いているわけですね。
1ヶ月~3ヶ月かかる作品もあるようです。
絵心がなく、手先が不器用な私には到底できない技、
いや「業」という思いがいたしました。

線が作り上げる、独特の世界観。
補い補い作るのでなく、活かし活かし作っていく。
切り絵を見ながらそんなことを思い浮かべました。
今、間違って描いたこの線も、どこかで、何かで活かせるのではないか―。
重ね重ね作る切り絵を見ながら、
考え方の切り口も垣間見ることができたように思います。

2008年4月1日火曜日

勧学祭

3月30日、勧学祭が仕えられました。
勧学祭は園児、児童、学生の、ここまでの御礼と、
これからの健やかな成長と学業成就、交通安全を祈願する祭典です。
例年4月に行いますが、今年は曜日の関係で3月末に行いました。
祭典後に、それぞれが思い思いにトッピングをしたピザをいただきました。



ピザの生地が神様だとして、

ピザソースがご先祖様、子どもたちがピザの具、そしてチーズが親。

改めてピザを眺めてみて、そんなことを考えました。

祖先が居て、自分たちが居る。具を結びつけるチーズの役割を親が担う。

子どもたちは子どもたちで、「自分が」とならずに、

周囲に配慮しながらも「自分を」伝えられるように。

どれかの味が主張し過ぎては、味全体が壊れてしまいます。

生地が学校で、教材がソースで、様々な具の子供たちがいて、チーズが先生。

そんな考え方もできるかも知れません。

何かに出会った時に、それが生きるヒントに繋がるよう、願っています。

それは皆さんにも、僕自身にも言えることです。

2008年3月20日木曜日

少し前の話ですが…



境内の梅の木に花がつきました。もう今はほとんど散ってしまいましたが、


この後に梅の収穫があります。それが楽しみでもありますね。




別のところでは、ここ最近の暖かい気候によって、彼岸桜も花をつけました。


温暖化の影響でしょうか。花たちもびっくりしているのでしょうか。


びっくりではなく、やむなく花をつけていたとしたら…とか、考えてしまいます。


私は一昨日はご本部にある岡山にいました。


全国青年教師連盟の会議に参加し、今後の行事等について話し合いました。


やはり同世代の教師に会いますと、刺激されますね。


さて、頑張りますか!!

2008年3月13日木曜日

前橋教会でコーラスの練習が行われました。

群馬埼玉教会連合会有志によるコーラスの練習が昨日行われました。


各教会を会場として、月に一度のペースで行われています。



「個人の努力と調和が大切。」

「それがひとつになっていくのが気持ちの良いことだし、とても楽しい。」

と、参加された方の声。

コーラスの魅力はここにあるようです。

2008年3月8日土曜日

心配り

月の約半分ほど、仕事の関係で東京に行っています。

一人でランチを取る時は、最近行くところが決まっています。

なぜか、そこのお店に行くと落ち着くのですね。

マスターが明るい声で出迎えてくれること。

活気のある厨房スタッフとの声の掛け合い。

そして…歴史が染みこんだテーブル。

それがまた、お洒落に感じることもあります。



いつもはランチタイムをずらしてお店に行く私ですが、

その日は出張から帰ってきたこともあり、大きな荷物を抱えていました。

“混んでるなぁ。奥の方には座れないなぁ”という思いがありました。

「すいません、一人です。大きな荷物があります」と伝えたところ、

「ちょっと待っててね」という、いつもの明るい声。

少し待っていると、2人で来ていたお客さんを奥の方へ移動してもらう様子。

申し訳ないなぁと心の中で思いながら、その様子を遠目に見ておりました。



「お客さん、すぐ準備するから、奥の広い方へ移動してくれる?」



その第一声を聞いて、なるほどなぁと思いました。

聞いたお客さんは、それほど悪い気がしません。

広い方へ移動して欲しい…言い方が上手いなぁと思いました。



その後、席につき「狭いテーブルでごめんね」という言葉。

やられたなぁという思いがしました。



込み合った店内で、忙しいランチタイム。

厨房もフル回転です。

「あそこのお客さん、ちょっと待たしてるから、量を増やしてあげて」

店内で繰り広げられる心配りの数々。

このお店がお客さんを引き寄せる隠し味の秘密。
それが分かったような気がしました。

2008年3月4日火曜日

2月17日、沖縄遺骨収集2日目

沖縄遺骨収集2日目、天候にも恵まれ、暖かい陽気となりました。
沖縄で「暖かい」という表現は不思議かも知れませんが、
今年は遺骨収集当日を迎えるまで天候を心配されていたとのこと。
雨ではなかなか作業が難しいというふうに想像します。
上記の写真はよく分からないかも知れませんが、弾丸の破片です。
沖縄が戦場となったことを物語るものです。
一見、岩の色と区別がつきにくいです。
不発弾の可能性もあるので、むやみにさわらないようにとのこと。
火薬というものは、濡れても関係ないそうです。
こちらは金光教の祭壇です。
発見されたご遺骨は、丁寧に土や埃を落とし、慰霊祭を仕えた後、
公共の納骨堂に納められるそうです。
今回は3体の「完全一体」のご遺骨が安置されることとなりました。
「戦争」というものが残したもの。
それを考えようとしても、今この時も世界では戦争や紛争が絶えることがありません。
そうとして、世界真の平和を願い行動することを続けることが大切です。
今回の遺骨収集御用奉仕を通して、なかなか言葉では表現することが難しいですが、
体験から体感することができたと思っています。
この体感してきたことを、今度は言葉として語り告げていく使命があると感じています。
「停戦」や「不戦」ではなく、やはり「非戦」を願い、祈っていきたいと思います。

2008年2月28日木曜日

2月16日、沖縄遺骨収集1日目

沖縄遺骨収集初参加の1日目、先ずは作業に使う道具を持っていきます。
一番上は縄ばしご、続いてスコップ、鎌、つるはしなどです。
つるはしは柄の小さいものと使い分けたりします。
僕は平和祈念公園周辺の担当となりました。
作業する場所では草木が生い茂っており、鎌が必要とのこと。
それと土を掘る道具の2つを持ちました。
慣れている方はラダー(縄ばしご)などを持っていきます。

縄ばしごは、このような岩穴で使います。(下から見上げて撮りました)

そして、このような岩穴での中では、振り上げることができないため、

柄の小さいスコップやつるはしが必要となります。

戦時中は、防空壕はもとより、こういった自然の穴に隠れたりしたそうです。

ちなみに、この穴の奥から、ご遺骨が発見されました。

形が綺麗に残っていて、波の満ち潮で流れてきたのではないか、とのことでした。

風によって、山肌から見えてきたりということもあり、

昨年は捜索して見つからなかった場所でも、

今年になって発見されることが多々あるそうです。

2008年2月19日火曜日

金光教沖縄遺骨収集奉仕

今回で35回目、私自身は初めて参加させて頂きました。

参加者数は金光関係者、一般参加者を含め、延べ93名以上。

しばらく、私なりに体験したことをご報告させていただきたいと思っています。
尚、これまで開催された沖縄遺骨収集については
下記URL「南部戦跡に膝をつきて」

こちらをご覧いただければ、内容が詳しく分かると思います。

私事で申し訳ございませんが、色々と立て込んでおりますので、

折を見て、ご報告させていただきます。

2008年2月12日火曜日

磁石

以前の投稿からだいぶ経っておりますが…
改めて「進む力」という、自分で書いたものを読んで
色々考えておりました。

磁石はくっつく力と反発する力とが生まれます。

くっつく力は、言うなれば「引き寄せる力」
反発する力は、言うなれば「押し出す力」
…と考えてみました。

反発する力については、ちょっと無理があるかも知れません。
しかしながら、これは自分の位置次第だと思うのです。

自分が手前に居れば、近づこうとしても近づけません。
でも、自分が何かよりちょっとでも前に居れば、後ろから押し出す力となります。
大切なのは立ち位置になるわけです。

反発する力を押し出す力に変えられるかどうか。
引き寄せられては押し出されるような、常に前に進む力へとできるかどうか。
まだまだ、これからです。
僕にとっては、何事も。

2008年2月6日水曜日

進む力

ふと、思ったことです。
磁石ってスゴイなぁ…と。

NとSの対極と、NとN同士、SとS同士とがあります。
人間の関係でいったら、同じ極になるべくなりたい。
しかしながら、どうしても上手くいかないこともあります。
それは人間関係をはじめ、事柄や物との関係もあるでしょう。


それで…磁石で思うのがリニアモーターカーです。
地上の推進コイルに電流を流すことにより磁界(N極、S極)が発生する。
これにより浮力が生まれ、また横にぶつかることもない。
そして、上がり過ぎることもないように調節できる。

何よりも進み方。
N極とS極の引き合う力と、N極どうし・S極どうしの反発する力によって
車両を前進させるそうです。

…と、これを信心に置き換えて考えられないかと思ったわけです。


信心をしていて、また、させて頂いていても、幸と不幸とを感じることがあります。
その瞬間では理解できないことだらけかも知れません。

しかしながら、こういう時にこそ、長い目で捉えていきたいと思うのです。
いずれ知ることになるかも知れませんし、分からないままかも知れません。
それでも、日に日に生きている。気がつけば進んでいます。

神様によって引き寄せられ、神様によって後押しをされている。
実はそういうことなのかも知れません。
こればっかりは私にもまだまだ分からないことですが、
そんな気がしております。

信仰者として、こんな考え方ではいけないのかも知れません。
しかしながら、いずれこの曖昧な「そんな気がする」という、
ちょっぴり前向きな思いが芽生えたこと。
それが大事なのかなとか思うのです。

それが、第一歩であり、進む力のスタートなのかも知れません。

2008年1月29日火曜日

初釜ボランティア


毎年行わせて頂いている初釜ボランティア。
今日を含め、計3回行ってまいりました。
福祉施設や病院を訪問し、行っておりますが、
いつも職員さんの分を考慮して準備するようにしています。
実際、職員さんの方が作法などを真剣に教わっている光景が印象的でした。
写真の方はプライバシーの関係から、
初釜で飾った蝋梅(ろうばい)を掲載させて頂きました。
「”蝋細工”のような、梅に似た花」から、蝋梅となったようです。
とても香りの良い花で、こういった雰囲気作り、心遣いも勉強になりますね。
いざそういった雰囲気の中で、改めて抹茶をいただくと、
心身共にリフレッシュされる思いです。

2008年1月21日月曜日

ノイズ2

かつて、救急車・救急隊員は医療行為ができませんでした。
患者が医療器具を装着している場合、触れることができなかったそうです。
「運び屋」でしかなかったという時代があります。
(今では法律も変わり、医療行為が認められています)

その変革の時代を過ごした方が、以前テレビで取り上げられていまして、
番組の最後に次のように仰っていました。

「救急車のサイレンを聞くと『頑張れよ!頼んだぞ!』という気持ちになる」

運び屋でしかなかった時代、
目の前の人に何も施すことができない時代を過ごしたというその方は、
救急車のサイレンを「安心を知らせる音」とも言っておりました。

救急車の到着を知らせ、もう大丈夫だという安心感を知らせる音だ…と。


日々聞こえてくる様々な音。
ノイズと思うか、勇気の音と思うか。
本当に人それぞれですね。

2008年1月19日土曜日

ノイズ

昨年、関東のある駅で、後ろから来る電車に気がつかず、
跳ねられて亡くなるという事故がありました。
亡くなった方はイヤフォンかヘッドフォンをしていたとのことです。

最近は機能がよくなり、
外部の音をシャットアウトするものがあるらしいのですが、
それはそれで危ないことだと思いました。
クリアーな音を楽しみたいという、それ自体は何も悪いことではありません。

しかしながら、その時は“ノイズ”と思えているものでも、
ある程度聞こえていないとたいへん危険なのです。
外部の音をシャットアウトするというのが、
(体験したことがないので、何とも言えないところもありますが)
クラクションや警笛といった「危険を知らせる音」が聞こえない可能性もあります。

…と考えていて思ったのが、
「必要なノイズ」と「不必要なノイズ」とを聞き分けるというか、
音楽を楽しむなら楽しむで、
判断しておかなければいけないのではないか、と感じるのです。

情報の取捨選択は、自らの命を守ることにもなる。
関係ないと思えるものでも、ある程度は情報として拾えるようにしておく。

昨年の事故ですが、冬の静けさに音というものの大切さを改めて思い、
あえて書かせていただきまいた。

冒頭に書きましたような事故が無くなりますよう、願っています。

2008年1月16日水曜日

初釜


昨日、初釜を行いました。毎年、1月中旬くらいに行っています。
残念ながら、私は御用(仕事)の関係で参加できませんでした…。

今月はボランティアで数回、初釜(お茶会)を行う予定でいます。
ボランティア先ではいつも喜ばれていて、
準備したお茶菓子の数が足りなくなることもあります。

お茶の精神には、あまり詳しくありませんが、
作法などを見ていると、身も心もピシッとなりますし、
抹茶をいただくと、不思議と心が落ち着きます。
コーヒータイムや3時のおやつも好きですが、
やっぱり改めて「お茶をいただく」というのは違いますね。

子どもの時に飲んだ苦いもの…
風邪薬の次は抹茶だったと思います。

豊臣秀吉は黄金の茶室を作らせたとか。
時は戦国…武将たちも心の安らぎを求めていたのでしょうか。

2008年1月14日月曜日

風速

「くしゃみのスピードがとてつもなく速い」というのが頭に片隅に残っていまして、

ネットで調べてみました。




嚔(くしゃみ)は320km/h。

ちなみに咳(せき)の風速は200km/h~400km/hらしいです。


新幹線の最高の速さがおよそ300km/h。

台風の風速がおよそ120km/h。
また、1回の咳(せき)で2kcalのエネルギーを消費するそうです。

50回すればジョギング12分するのと同じエネルギーが消費されるとか。



くしゃみ、せき、共にウイルスを外に出そうとする働きみたいです。



加えて、しゃっくりは1回、1キロカロリーだそうで。

鼻やのどの奥に詰まったものが肺に行かないようとする横隔膜の動きだとか。



ちなみに、

胎児の心拍や呼吸運動は大人の二倍の速さで、しゃっくりも二倍の速さとか。

これは生後3ヶ月まで続くといわれているそうです。



人間の普通の呼吸の風速は10m/h~20m/h。

これは自転車と同じくらいの速さです。



体の方は想像もつかないくらいのところで、闘ってくれています。

また、新しい・小さないのちは懸命に生きようとしています。



自分の体、大切にしたいですね。

2008年1月11日金曜日

リズム

元バンドマンの知り合いとの会話の中で…

「ベースやドラムってのは、同じ音を刻まなければいけないから、上達するほど、そこが難しくなる。」

同じリズムを取ることが難しい、しかも上達するほどです。
私はベースやドラムをやったことがないので、よく分からない部分もありますが、
とにかく、基礎・基本のリズムを刻むことが多いということですね。
上手くなればなるほど、試したいし、応用に走りがちです。
その点がギターと違うとのことでした。
音楽をされている方の中には、違う意見もありそうですが、
この話を伺って「上達するほど難しい」という言葉が耳に、頭に残りました。

むしろ、上達してからの方が、難しくならないといけないのかも知れませんね。
【より確実なリズムを刻むことや、より安定した音を取ることが求められる】
ということだと思います。
基本に立ち返り、基本を強化する。
案外、見落としてしまいがちな部分だなと感じました。

2008年1月7日月曜日

初祭典

昨日は、今年初の月例祭でした。私どもは初祭典と呼んでいます。
元日祭は元日祭で、年の特別な祭典という捉え方をしています。
前橋教会では、10日と22日に近い日曜日を月例祭、月例霊祭としています。
(他の行事等で変更する場合もあります)

さて、昨日は初祭典後、新年会を行いました。
年末年始に帰省されていた人も戻ってこられて、賑やかな新年会となりました。

尚、信者さんのプライバシーもあり、今回は写真を掲載いたしません。
ご了承いただきたいと思います。
掲載が可能な写真がありましたら、随時掲載していく予定です。
よろしく御願いいたします。

2008年1月5日土曜日

ボランティア

今日は今年2回目のボランティアに行ってきました。

私が行っているボランティアは、精神病院のデイケアです。

関わって3~4年になるでしょうか。

そこでスポーツを中心に、お手伝いさせていただいています。



デイケアに参加される方たちですので、比較的、活動的で、症状も軽度な方たちと触れ合っています。

年末年始も、それぞれ思い思い過ごされたようで、また元気な顔を見られて嬉しかったです。



また、こちらのデイケアのプログラムで、色々と勉強させていただいております。



最近、特に考えさせられたのは、アサーショントレーニングというものです。

正式には、アサーティブネストレーニング 【assertiveness training】となりますが、

アメリカで 1960 年代に始まった自己主張行動の訓練技法で、主張訓練のことを指します。



この中で、幾つかの質問に答えるものがあり、

その結果から、どう自分の行動を変えていけばよいのかというものがありました。

その1つに「人を傷つけるのは、どんな理由があるにせよ絶対いけないことだと思う」
という項目がありました。

参加者も私も、その考え方について「かなりあてはまる」か「ややあてはまる」と答えました。

そうすると「その答え、考え方は間違っています。」という講師からの返答。

理由は、「絶対いけないと思っていると、もし自分が逆の立場になった時に、
過剰な防衛反応をしてしまう。」とのこと。
傷つけてしまうこともある、そんな、ある程度ゆとりを持った考え方を教えられました。
同時に、絶対傷つけてはいけないという思いから、
自己主張に枠を決めてしまう可能性もあるそうです。

なるほどなぁと、勉強になりました。
また、感じること、考えさせられることがありましたら、ご紹介させていただきたいと思います。

2008年1月4日金曜日

お鏡


こちらは元日祭にお供えした鏡餅をお下げしたものです。
綺麗なヒビが入っております。
…とここまで書きまして、「綺麗なヒビ」と書いたことが不思議です。
心というものは、まん丸が一番よいとは思います。
しかしながら、完璧な○というのはないでしょう。
綺麗なヒビが入ったことで、食べやすい形に切りやすくなる。
全くゼロから切り始めるのはしんどいことです。
或いは削るという作業にしても、きっかけがないと難しい。
鏡餅を見て、そんなことを思い浮かべました。
まだまだ完璧とはとても言い難い私の心は、
金光教のご信心を進めることで、
綺麗なヒビを入れさせて頂けているだろうか。
そんなことを思ったりもしました。
文字通り、「鏡」餅とは、
自分の心を映してくれているようでした。
今後も、このような、文字通りの「切り口」で、
自分の心に問いて参りたいと思います。

2008年1月1日火曜日

元日祭




10時30分より、教会長祭主のもと、元日祭が仕えられました。
元日祭は、新年にあたり、新たな願いを立て、
お礼と改まりの心をもって、一年のことを祈願する祭典です。

前橋教会開教102年を迎え、

信心(信仰)実践として
「他人(ひと)のことを祈れる私にならせてください」との目標が立てられました。

身近な人、疎遠となってしまった人も含め、
自らの祈りを持って、信心環境を深めていきたいと願っております。

明けましておめでとうございます。

新たな年となりました。
皆さまには、今年も尚一層の健康とご多幸を祈念しております。

群馬県は、元日にニューイヤー駅伝があります。
TBSで放送されているものです。
教会では元日祭が仕えられますが、
参拝の方で国道50号を利用される方は、
時間帯によっては交通規制が敷かれるため、
時間を狙って帰らなければなりません。

そこら辺が、他県と違って、ちょっと慌ただしい群馬のスタートとなっています。