2008年7月29日火曜日

いのち

ブログを見てくださった方からご意見をいただきました。
「鳥と蜂とで違うのは当たり前。被害が出たらそれこそ大事になる」。
それもそうなんだけど…と思っているのを見透かされたのか、
「歩いているうちに蟻を踏んで殺してしまっているかも知れない。」
そして「様々ないのちの上に私たち人間は生きている」と続けられました。
なるほどなぁ…と。

私たちは、本当に多くのいのちの中を通って生活をしている。
食べるということは、その物のいのちを取っていることであるし、
知らず知らずのうちに、様々ないのちの上に立って生きている。

自分が生かされている存在っていうのは何となく分かるんですけど、
自覚されてない部分があって、それとは別に積み重ねられたいのちがあるわけで。
そこを考え出すと、身動きが取れなくなってしまいそうですが…。

ご意見をくださった方は、こうも言ってくれました。
「これからのテーマにすればいい」と。

鳥の巣と蜂の巣から、人間が快適な環境を求めれば求めるほど、
住みづらい環境に追いやってしまっている部分ってのを思い知らされました。
そこで立ち止まるのではなく、そこからどうするのかってことが大切ではあります。

共存や共生という言葉はよく聞きますが、改めて自分のテーマとして、
信仰を持って歩ませていただきたいと思います。