採らないと、どこまでも根が広がってしまうこともありまして…
地面の下に根を張り巡らせて、
雨後には一斉に地面に顔を出す筍。
中にはコンクリートを持ち上げているものもありました。
竹の子どもを食べようなんて、誰が始めたんでしょうかね。
動物が食べているのを見てから、食べるようになったとか聞きます。
「食物」はそれぞれにいのちを繋いで、
それを紡いで私たちは生きていることになるわけですね。
改めて、筍の、その驚異的な生命力に、
「人間としての生きる力は近づけているのだろうか」とか、
そんなことを考えた初夏を思わせる日でございました。
2 件のコメント:
はじめまして。
常盤台教会の三宅美智雄と申します。
きれいな写真を拝見して、自然・いのちに対する愛情を感じさせられます。
二本の筍の写真を拝見いたし、改めて筍のいのちを考えさせられました。これまでは、筍を見ても「美味しいか、どうか」しか思いつかなかった自分の「勝手な」生き方を反省させられています。
有り難うございます。
三宅先生、コメントありがとうございます。
私も「筍を掘る」という作業をしなければ、固いかどうかという部分だけしか見られなかったと思います。
筍の生命力に触れることで、たまたまですが、「自分の心に」見させていただいたのだと思っております。
これからも「たまたま」でも「偶然」でも、こういった場面に出会わせていただきたいですし、三宅先生のような謙虚な心を持ち続けたいと思っております。
今後ともご意見をお聞かせください。
ありがとうございました。
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