境内の柘榴の木。
花と共に実も落ちておりました。
子どもの時はお弁当のソーセージに似ていたので、
よく拾って遊んでいました。
柘榴の木も年を重ねるに連れて、
余分な実は自ら落としているようにも思います。
実をつける分を決めているかのようです。
ここでも学ぶべき何かがあるように思います。
高崎から15分くらいですが、疲れもあり、座れなくて辛いなぁと思っていて。
そうしたら、車窓越し、線路の真ん中に草が生えていました。
使われている線路なので、そのうち抜かれるか、
伸びても列車に轢かれてしまうでしょう。
…でも、草は草として、草らしく生きているんですよね。
たまたまそこに線路があっただけの話。
草として生きているだけのこと。
そんな堂々としている草を見て、
疲れに心まで萎んでいる自分が情けなくて、
笑えてきてしまいました。
何に疲れているんだろうって。
このタイミングで目に飛び込んできたもの。
まだキャッチできていることが、
ありがたく思えた出張の帰り道でした。
収穫した梅の中で2つほど、蜜が出ているものがありました。
虫が開けたのかどうかは分かりませんが、
木になっている時から写真のような状態でした。
正直、雨が降っていたので早く終わらせようと思っていたのですが、
綺麗で、それでいて不思議な梅の表情を見つけて、ハッと思いました。
「あぁ。生きているんだな」って。
早く終わらせようとしていた自分。
梅に対して何とも申し訳ない気持ちになりました。
梅としては、ありのままの姿なんでしょうけどね。
ありのままが、当たり前に思えたら、ダメなんでしょうね。