2014年12月4日木曜日

師走。

12月を迎えさせていただきました。

「今年のうちに」と思っていること。
できそうでしょうか。

「今年こそは」と思っていたこと。
来月に、来年に移行でしょうか。

私は…幾つかありますね(苦笑)

寒い日が続くようです。
忙しくて、さらに急かされることが
これから増えていくことと思います。
どうぞ御身ご大切にお過ごしください。



2014年11月24日月曜日

ご大祭を終えて。

本来であれば、ご大祭に向けての記事であるはずですが、
忙しさにかまけて更新が滞っております。
申し訳ないことでございます。

日が替わってのことで、
私としての後片付けのご用が一区切りいたしました。
そして明日は親教会の先代教会長3年祭が仕えられます。
私は後取のご用をさせていただきます。

ご用が続いており、体力的に…という思いもございますが、
お使い回しいただいておることに御礼申し、
お務めさせていただきたいと願っております。

2014年11月5日水曜日

銚子の地にて。

11月3日は銚子教会の布教60年祭に参列いたしました。
群馬を流れる利根川の終点。
車で往復しましたが、片道5時間くらいかかりました。
もちろん前日入りしてのこと。

群馬は海がありませんので、
潮の香り?磯の香り?だったり、波の音に
海っていいなぁと感じました。

親戚や遠戚とも久しぶりに顔を会わせることができ、
23日の前橋教会大祭に、そして年末に向けて。
それぞれに取り組む活力を得られたと思います。

2014年10月22日水曜日

追いつ追われつ。

寒い雨が続いています。

このところ、私は色々と追われております。

追われているのは、追いつこうとしているわけでして、

何かの当日であったり締切であったりで、

その時というのは、出来ていても間に合わなくても、

やってきてしまいます。

プロセスがサクセスへと繋がっていけばよいのですが、

なかなかそうもいきません。

ですが、その過程というものは、

何かしらの力にはなっていくと思うんですね。

結果はつきものですが、

教祖様は「先を楽しめ」と仰っています。

結果からまたスタートすることもあります。

苦しいことも見えてくることも大切にしていきたいものです。

2014年10月8日水曜日

非日常。

本日は皆既月食。
群馬は雲って見られないようです。
東京では見れました。
繁華街では、月夜の明るさは実感できづらいですが、
明度の差っていうのが珍しいのかも知れませんね。

日常との、ちょっとした違い。

夜空を見上げた時、いろんな人の顔を思い浮かべました。
あの人も見上げているかな、とか。

行動としては、あくまで個人なんですけど、
やっぱり繋がりを感じて、人は生きていくようです。

ただ、これは日常では感じづらいこと。

日常となる「慣れ」の感覚は大切ですが、
日常化が進むことで、
心が渇いていくのは避けたいところです。

逆に潤っていくような、
自らへの働きかけを模索しております。

2014年10月6日月曜日

プラスアルファ。

群馬は晴れてきました。
台風が通過したようです。

今朝のこと。
自宅前がゴミ置き場になっていまして、
母が「水溜まりができている」というので見に行くと…
ゴミ袋が排水溝をせき止め、水がたまっていました。
言うなればゴミ袋が土嚢のようになっていました。

ゴミ袋を動かす作業中、車が通って水しぶきを浴びました。
水が通るようになると、みるみるうちに水位が下がりました。

週明けの月曜日。
ゴミを出せる日であった場所も多かったと思います。

たまたま自宅前がゴミ置き場であったから気づいたこと。
ゴミを出された方はルールを守っておられます。
さすがにプラスアルファのことまでは想像できないと思います。

実際に受けてみないと分からないことって、
案外多いんだなぁと感じました。

お気をつけて。

昼前に、台風は群馬県を通過する模様です。

昨夜遅く、教会長夫妻はご本部参拝から無事戻られました。
本部から西へ移動される方は大変だったかと思います。

午前中に日参されている方も、
午後に時間帯を変更する旨の電話がありました。

強くなる雨や突風にはくれぐれもお気をつけください。

2014年9月23日火曜日

こだわり。

たまに行く喫茶店があります。
知り合いの方のところです。

そこで久しぶりにランチを頂きまして、
トーストされたパンの話題になりました。

サンドイッチセットと悩んだんですが、
日替わりランチがまだある、ということで。

トースト用のパンとサンドイッチ用のパン。
改めて書くのも…というような当たり前の話なのですが、
使い分けているそうです。

サンドイッチ用のパンは
焼くと香りが飛んでしまう。

逆にトースト用のパンは
焼くことで生地が縦に伸び、バターが染みこみやすい。

全然気にせずに、ただ美味しいと食していましたが、
奥が深いようです。

「自分が納得した味をお客さんに提供したい」
パン屋さんに頼んで、特注のものを使っているそうです。

おそらく、多くの喫茶店がお抱えのパン屋さんを持っていることでしょう。

こんなことを今更…という感じもしますが。

こだわりを持つことは、時に必要なこともあるようです。
良いことであれば、尚更に。

2014年9月18日木曜日

伝達。

一昨日の大きな地震。
私は職場である東京のビル4階におりました。
書類が少し落ちるなどがありましたが、ケガはなかったです。

地元群馬は震度5とのこと。
母親の携帯にはすぐに繋がって安心しました。
東日本大震災時にはなかなか繋がらなくて心配でした。

それからTwitter(ツイッター)を利用することになり、
家族の安否はすぐにTwitterで流すことを約束事としました。

今回は無事で何よりでしたが、
西日本に親戚が多い私たち家族にとって、
「前橋で地震があった」というニュースが流れると
とても心配になります。

咄嗟に「先ずTwitterで流そう」ということを
我ながら思い起こせたことは評価できるかなぁと思います。

東京からの帰りの電車では、地震の影響を受けまして、
40分以上、足止めとなりましたが、
無事に帰ることができたのが何よりでした。
そのことも呟きまして、
影響が出ていたことを知らせることにもなったかと思います。

SNSは情報の安全性が問題視されてはいますが、
利用方法について参考にして頂けたら幸いです。

2014年9月14日日曜日

流れ。

久しぶりの快晴です。
昨夜は雷雨でしたし、
まだ夏の気候が残っているのでしょうか。

昨日は以前の職場関係の方たちと夕飯を食べました。
数か月ぶりで、色々と話しました。
あっという間に時が流れた感じです。

やっぱり時が流れるのは短くて、
時間が過ぎるのは長い。

忙しいときの集中力。
終わってみれば、あっという間の時間。

自らが定めたり、規則であったりするわけですが、
楽しいという感情や、焦りという状態。
改めて時間に影響するんだなぁと、
振り返って思いました。

2014年9月9日火曜日

続、しきたり。

前回、書かせて頂いたところ

「そこまで後輩さんは考えてないんじゃないのか?」

との意見がありました。

無意識というか、脊髄反射というか。
そんなことなのかも知れません。

ただ、大人以上に、
若い世代も理不尽な場面に遭遇している。
それは知っておいて欲しいと思います。

ある方が仰いました。

「会社には七不思議がある」

納得できないことや上手くいかないこと。
上司や部下のこと。取引先とのこと。

多くは人間関係かと思います。

生活があって。家庭があって。
その中で歯を食いしばってやっている人がいる。

麻痺して感じなくなることが
必ずしも良いことではないのですが、
時には悪いことでもなかったりします。

「不思議だなぁ」という答えが出ない所で
やってかなくてはならないこともあるようです。

しかしながら、無理がたたって…という
状況に陥るのは避けたいものです。

転職というのも、可能性を広げる上では
大切な選択だと思います。

今一度、大切なことは何であるのか。
「七不思議」として抑えられていけるものなのか。
見直してみる必要があるかと考えます。

2014年9月4日木曜日

しきたり。

駅のホームで気をつけをして「おはようございます!」と
挨拶する二人組の女子学生。
しかも時間差で一人ずつ深く頭を下げて、でした。
伝統校なんですかね。

その視線の先には先輩と思われる方々が
見向きもせずに談笑してました。
文化部っぽい感じだったけど、まだこういうのあるんだなぁって。
挨拶くらい返してあげたら?って思うけど…。

気がつくと、ここで相手を責めているんですね。
先輩を見かけたら挨拶をするっていう、
おそらく部活動の中でのルール。

守らなかったらどうなるかまでは分からないけど、
後輩らしき二人組は「しきたり」を守ったまで。

挨拶をするのが普通だとか、
挨拶されたら返すのが普通だとか、
そういった常識でなく、しきたり。

理不尽なようで、続けられてきたもの。
挨拶の度にわき起こる感情を
それとはなしに整理して…の先輩とのファーストコンタクト。

何気ない朝の光景に
関係のない第3者として、
なんでまた感情が動くのか。

「常識」に囚われている自分が居て。
「普通」のことを誉められない自分が居て。
誉めるより怒る、認めるより責める自分が居ること。

喜怒哀楽で、その場面によって、
どの感情を生み出すべきか。
怒りはストレスを生むこと…学んでいるはずなんです。
冷静に考えていけば分かるはずなんですけどね。

無反応や無関心で感情を圧し殺すのも良くないですが、
感情の持って行き方を考えさせられました。

正解や不正解というよりは
「どーせだったらプラスの方を見る」という
意識を持ちたいものです。

2014年8月31日日曜日

姿勢。

8月も今日で終わり。明日から9月です。
夏があっという間に過ぎ去ってしまったような、
過ごしやすい日々が続いています。

「汗かけ。恥かけ。文章かけ」

先輩に教えていただいた言葉です。

汗をかくこと、文章を書くことは、まぁまぁ好きです。
恥をかくのは嫌ですが、それも大事なことみたいです。

まだまだ、言葉としていただいても、
そこを通るのは難しい。
しかしながら、それは自分の糧となる。

もちろん「恥をかかないように」と取り組むこと。
それが前提にあっての言葉だと思います。

恥を恐れてはいけないし、
「恥をかいてでも…」ということが、
時に必要なこともあります。

「汗かけ。恥かけ。文章かけ」

この言葉を知ってから6年。
まだまだですが、心に留めて、
やっていきたいと思います。

2014年8月28日木曜日

季節の変わり目は?

このところ、秋、とりわけ秋が深まったような季節を感じる日々です。
私も布団を出しました。
今までのように「扇風機やクーラーを使って寝苦しい夜を何とか…」
という感じではありませんね。

風邪を引かないように気をつけなくては、と思いつつ。
もう少し夏を感じていたいような気もします。
残暑お見舞いという時候の挨拶が使いづらい今日この頃です。

身体が慣れてこない時期で、夏の疲れが出てきそうな頃ですが、
どうぞ皆様、御身ご大切にお過ごしください。

2014年8月17日日曜日

どちらを取るか。

余白と余地とがあって。
言葉のことを、
本当に深くまでは調べてないんですけどね。

余白は、あえて白を残すというか、
描かなかった部分までも構図として残すもので。

余地というのは、まだ開発の余地があるとか、
努力すべき点であったり、出来れば残したくない部分で。

こう、どっちがいいのかなぁって。
場面によっては
使い分けなくてはいけないような気もするんです。

ぎっしり詰め込みすぎてもいけないし、
残し過ぎると全体像としてボヤけてくる。
注目させるという点では、必要な図法かとも思います。

余白を含めて、どう描くか。
余地をどこまで突き詰めていくか。

どっちを取るか。どちらが足りないか。
何事にも当てはまるように思います。



2014年8月11日月曜日

前提条件。

何かにつけて前提条件と言いますか、
それが達成されていると「当然のこと」へと変化されてきます。

勘違いが始まっていきます。

そこからさらに、無いものねだりとなってしまうことがあります。

実は、その前提条件が満たされていることが、
有り難いことであるはずなのに、です。

より良くしたいという気持ちから、
足りない平等でないという気持ちが生まれてきます。

…と、難しいような表現で書き始めてみましたが(笑)

こう、何と言いますか、
通り過ぎてしまっていることほど、
大切にしなければならないと思いますし、
簡単に通り過ぎてしまえていることは、
有り難いことであるのかも知れません。


今日は車で東京を往復しました。
都内は少し混んでいまして、結構疲れました。

車の点検や安全運転を心がけてはいますが、
事故や故障なく往復できたことは有り難いことです。

これまで、車にて東京を何往復したかは分かりませんが、

もっと素直に、
単純なことをスゴイことだと、
当たり前のようなことを有り難いことであると、
感じて参りたいものです。

当然のことですが、
時間に余裕を持ち、車の性能と自らの状態を整えておくこと。

前提条件を見直すこと。見つめ直すこと。
気持ちということでも、整備しておきたいものです。

2014年8月4日月曜日

秋に向けて。

昨日は浦和で会議がありました。

道中のJR、スタンプラリーの話をする家族連れ。
降りる駅を間違えないようにと一生懸命な子供。
8月最初の日曜日は、夏休みのど真ん中。
色々と微笑ましい光景を見させて頂いております。

浦和での会議では10月のレクリエーションについて
話し合われました。
今回はオブザーバーとしての出席でした。
これから事務局の方たちが内容を詰めていくことになります。

夏真っ盛りではありますが。
秋に向けて、また動き始めています。

2014年7月31日木曜日

時の流れ。

7月31日を迎えました。
当然のことなのですが、7月と8月は31日まであります。
この月またぎは、夏休みという期間でもあり、
夏の暑さもありで、スーッと行ってしまいがちです。

仕事で出かけるにしても、
何かと家族連れや若い方たちを見かけることが多く、
曜日感覚もズレてきます。

幸いなことに、私は毎月の教会報作成がありまして、
その月をふり返ることができています。
…まぁ、編集に追われることも多いのですが。

先日、農作業の奉仕活動に出向きました。
ゴーヤ、なす、そしてブドウが出来ていました。
月に1度程度しか伺えないのですが、
その都度、成長と少しずつの四季の変化を感じさせて頂いています。

時間に追われての生活は、慣れを生み出し、
同じパターンが多くなると、短く感じていきます。
その日、その時は長いのですが、
ふり返るとあっという間の1年…ということがあります。

ですので、その流れの中で変化があることは、
とても大切なことであったりもするのです。
印象として記憶されることは、
ここまでとこれからとを繋ぐ、大事なバトンとなります。

月初め、上半月、月末。
改めて、意識させて頂きたいと感じます。


2014年7月25日金曜日

努力。

昨日は朝早くに車で出発をし、
前橋教会2代教会長でもある、
本郷教会西村伝蔵先生例年祭に参列させて頂きました。

祭典の2時間前に奥城(おくつき・お墓の意)に参拝させて頂きました。

高速道路を往復したわけですが、
故障車を何台か見かけました。
5日前に高速のSAで給油の際、
「これは群馬でタイヤがもたないですよ」と言われ、
渋々タイヤ交換をしました。
正直、残金が心細かったところもありまして。

しかしながら、改めて故障車を見かけて、
替えておいて良かったなと感じます。
その時はお金の心配が先に立ったわけですが、
やはり安全や安心が大切です。

何となく情けない心模様でありましたが、
人から言われたことに対して、
謙虚に受け止める努力が必要だなぁと感じました。

2014年7月22日火曜日

定型句。

なんくるないさー、という言葉。
沖縄好きの僕は「なんとかなるさ」という意味だとおもってました。
しかしながら、この言葉には定型句があるそうです。

以下、ニコニコ大百科の単発記事から引用しました。

そーけー=(人として)正しい行いをしていれば」「なんくるないさ自然と(あるべき様に)なるものだ」、
つまり「挫けずに正しいを歩むべく努すれば、いつかきっと報われて良い日がやって来る」ということであり、
儒学者胡(こいん)著『致堂読史管見』に由来する諺「尽人事命=人事を尽くして命を待つ」や
英語の諺 "Do the likeliest, and God will do the best." に相当する言い回しであった。
そして前半が省略された「なんくるないさ」もそういうニュアンスで使われ続けていたのだが、確かにこれだけだと
自然と(なるように)なるものだ」とも解釈可であるため、単に「何とかなる」と言う楽観的見通しを意味する。

以上が「なんくるないさ」についての記事です。
改めて読ませていただいて、なるほどなぁと感じました。
方言は、その言葉自体に親近感がわきます。
しかしながら、本来の意味は、段々と省略されて伝わってきます。

楽観的見通しというものは、
本来そのような心構えなのかも知れませんね。

2014年7月16日水曜日

感覚。

喜怒哀楽。
表に出したり、心の内にしまい込んだり。

顔で笑って、心で泣いて。
本音と建て前。

そういった言葉たちもあります。


先月に続き、今月も1泊の研修会に参加させて頂きました。

改めて、自分の中でわき起こるものと、

相手の中でわき起こっているものと。

見える距離と、見えない距離で、
そのことを言おうか言うまいかというのがあって。

聞き出そうという努力も必要な場合もありますが、
聴く姿勢ということも大切な要素であります。

2回の研修会に参加させて頂いて、
自分自身が言えないでいることも含めて、
色々と考えさせられた、とても充実した研修会でした。

2014年3月6日木曜日

工夫。

ふと、バッティングセンターについて調べてました。
そうしましたら、バッティングセンターなるものは、
日本という国土の狭さが生んだものだとか。

アメリカにもバッティングセンターはあるようですが、
それよりはゲームが出来る場所、球場が多いようです。

野球を楽しむための方法として、何が出来るか。
どうすれば出来るか。

ものづくりに長けた日本人ならではの、努力の結晶ですね。

2014年2月3日月曜日

料理。

最近、料理をするようになってきました。
誰かにご馳走できるというレベルではありませんが。
こう「温かいものを食べさせてあげたい」という気持ちは、
何か、そのまま神心のような思いがしております。

料理というのは、とても複雑な工程を踏んでいます。
それこそ買い物から始まったり、
冷蔵庫を開けて「(残り物から)これが作れそうだ」と。

イメージしながら、その工程を進めていくわけですね。
出来上がりへと結びつけていくわけです。

「ちょっとした一手間」がテクニックとしてテレビでもよく取り上げられています。
ちょっとした気遣いとも言えるような気がします。

もっと美味しくなるように、と腕をふるう料理というもの。
自分自身に、という一人暮らしの方もいらっしゃることでしょう。

信心においても、ちょっとした取り組みが大切であるように感じます。

2014年1月14日火曜日

選択。

寒い冬を迎えておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

改めまして、本年もよろしくお願いいたします。

さて、今日の職場で勉強会なるものがあったのですが、
そこである方から、こんなコメントがありました。

何かモノをもらう時に、つい「すみませ~ん」と言ってしまうけど、
「ありがとう」の方が自分の気持ちを伝えているような感じがします。

イメージとして、日本人の美徳というか、謙虚さみたいなことで
「すみません」の方が一般的であるような感じがします。

英語のことは詳しくないのですが「Thank you」というのが普通かと思います。
直訳としては「(あなたに)ありがとう」と。

相手に対して、謙ってでなく(時と場合によるのでしょうが)、御礼を伝える。
感謝の気持ちとしても、嬉しい方を、喜ばれる方を選んでいきたいものです。