以下、天地書附を書かれた教会長の言葉です。
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ある信奉者からお結界で「大きな天地書附を掲げて頂きたい。そして皆で奉体させていただきたい」とのお届けがありました。開教101年を迎え、前橋教会の願い、そして信心の指針として、書かせていただきました。 この天地書附を書かせていただくに際し、太田恵春先生(千住教会)のことを思い出しておりました。一昨年(平成17年)の夏、金光新聞に掲載される「おひろまえ」記事の取材で、恵春先生が前橋教会に来られました。こちらがお迎えにうかがう前に、ご自身で駅から歩いて来られ、ハンカチでしきりに汗を拭うておられました。その仕草と笑顔を今も想い出されます。千住教会の先代教会長は、私も存じておりましたので、その話をすると目を輝かせて聞いてくれました。まさかその半年後に、恵春先生のご葬儀に出席せねばならぬとは、思いもよらぬことでした。参拝させて頂いた千住教会のご神前に、先代教会長直筆の天地書附が掲げられておりました。恵春先生の御用姿勢を忘れないように、という思いも込めて、書かせて頂いた天地書附であります。
ある信奉者からお結界で「大きな天地書附を掲げて頂きたい。そして皆で奉体させていただきたい」とのお届けがありました。開教101年を迎え、前橋教会の願い、そして信心の指針として、書かせていただきました。 この天地書附を書かせていただくに際し、太田恵春先生(千住教会)のことを思い出しておりました。一昨年(平成17年)の夏、金光新聞に掲載される「おひろまえ」記事の取材で、恵春先生が前橋教会に来られました。こちらがお迎えにうかがう前に、ご自身で駅から歩いて来られ、ハンカチでしきりに汗を拭うておられました。その仕草と笑顔を今も想い出されます。千住教会の先代教会長は、私も存じておりましたので、その話をすると目を輝かせて聞いてくれました。まさかその半年後に、恵春先生のご葬儀に出席せねばならぬとは、思いもよらぬことでした。参拝させて頂いた千住教会のご神前に、先代教会長直筆の天地書附が掲げられておりました。恵春先生の御用姿勢を忘れないように、という思いも込めて、書かせて頂いた天地書附であります。