2007年12月30日日曜日

越年感謝祭

本日13時半より、前橋教会にて越年感謝祭が仕えられました。
一年間の御礼と、神様へのご無礼お粗末不行き届きをお詫び申す祭典です。
ご無礼お粗末不行き届きという文言は、
お土地を汚したり、神様から頂いている心の無駄使いをしてきたことなどで、
ご無礼を重ねてきたことを指します。
かつては「大祓」という言葉をつけておりましたが、
ここしばらくは「大祓」という言葉を外しております。

意味合いとしては「罪穢れを祓う」ということが続いておりましたが、
考え方として、先ず天地の恩恵恩徳の中に生かされ、
衣食住の上に限りないお繰り合わせを頂いていることに先ず御礼を申し、
神様(天地)と共に生きることが
人間としての本当の生き方であることを頂き直す日でもあります。

今年も明日一日を残すのみとなりました。
皆さま方におかれましては、健康と安全、
また新年への準備に万事お繰り合わせを頂かれますよう御祈念申し上げます。

2007年12月27日木曜日

帰り道

歩く道の途中、道の中央に1枚の葉っぱを見つけた。
その1枚の葉っぱをそっと手に取り、
道脇の落ち葉たちに加えて帰った。

何か1つ良いことをした気分
「何か1つ良いことがあればいいな」
そんな気持ちを持つ、浅はかな自分を
一人笑った帰り道

2007年12月25日火曜日

ライヴ

中学、高校で一緒だった友人が、久しぶりに故郷でライヴをやるというので、
見に行ってきました。
高校生の時、初めて見に行った時には始めの方で演奏してたのですが、
今回はトリを務めていました。
紅白でいえば、和田アキ子さんか北島三郎さんってことになりますね。
頑張っている姿を見て、元気をもらったような気がします。

夢か趣味か―。
曖昧なラインはありますが、やりたいことをやり続けている姿には感動しました。

自分にできないことをやっている。
羨ましさも感じますが、負けてられないなと思う、吐く息白い夜でした。

2007年12月10日月曜日

落ち葉

「サクッ」「サクッ」踏みしめる度に乾いた音が返ってくる。
冷え込む夜道に、襟を立てて足早に帰ろうとするが、
感触がなぜか嬉しくなる。
そんな落ち葉の絨毯を敷き詰めた道。
風に舞い上がる落ち葉を「寒い」と言わんばかりに
引力が慌てて引き寄せる。
そんな落ち葉の毛布をまとった道。

感触を楽しんでいた私は、木々たちの視線を感じるようで
少し罪悪感に苛まれていた。

眠れぬ夜に

ひらひら舞う葉っぱに時間を緩やかにされた過去
今は残された葉っぱがちょっぴり寂しそうに思える
寄せる波と返す波
日の出と落陽先を行く者、
後に残された者
どちらにも同じように許された、与えられた時間
月の満ち欠けは1ヶ月
星の瞬きは何光年
肉眼に映る、過去の光
心に宿る、過去の過ち
耳を澄ませば、頭を通さずに伝わってくる感情
どこから聞き出せばよいか分からずに
途方に暮れる夕闇に
明け方の空を思い浮かべて
眠れぬ夜を憂うひととき

黄色の言葉

12月―

黄色い葉っぱが道を覆い尽くして、
車が通るたびに舞い上がっては道路をまた色づける。
以前より寒そうな枝たちが震えるように空を目指している。

お気に入りの毛糸の手袋を眺めて、グーとパーを繰り返す少女。
ニット帽がずれてしまい、なかなか歩き出せない少年。

それぞれ親に急かされて、わずかに色づいた黄色い絨毯の端を通っていった。
せっかく排水溝に蓋をしたのに、指定の袋に次々に放り込まれ、
集められる黄色と反比例して、やがて黄色は斑模様のみとなった。

やがて普通の並木通りとなるその時まで、銀杏は風に、風圧に舞い上がる。

黄色の輝きは、最後の最後まで、
色がくすんでも色褪せないようにと、存在意義を主張している。
また来年も見上げさせるために。

それは下を向くことになれた人間のためなのか―
それは運動不足の腰を伸ばすためなのか―

2007年12月6日木曜日

教会玄関が明るくなりました。

この度、木工教室クルトゥーラさんのご協力を得て、
女子部会を中心に玄関のすのこが新調され、 椅子が塗り替えられました。
また、キルトも新しいものが掲げられました。
玄関がとても明るくなりました。
御用奉仕の方々には御礼申し上げます。
ありがとうございました。













2007年12月5日水曜日

天地書附への願い




以下、天地書附を書かれた教会長の言葉です。
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ある信奉者からお結界で「大きな天地書附を掲げて頂きたい。そして皆で奉体させていただきたい」とのお届けがありました。開教101年を迎え、前橋教会の願い、そして信心の指針として、書かせていただきました。 この天地書附を書かせていただくに際し、太田恵春先生(千住教会)のことを思い出しておりました。一昨年(平成17年)の夏、金光新聞に掲載される「おひろまえ」記事の取材で、恵春先生が前橋教会に来られました。こちらがお迎えにうかがう前に、ご自身で駅から歩いて来られ、ハンカチでしきりに汗を拭うておられました。その仕草と笑顔を今も想い出されます。千住教会の先代教会長は、私も存じておりましたので、その話をすると目を輝かせて聞いてくれました。まさかその半年後に、恵春先生のご葬儀に出席せねばならぬとは、思いもよらぬことでした。参拝させて頂いた千住教会のご神前に、先代教会長直筆の天地書附が掲げられておりました。恵春先生の御用姿勢を忘れないように、という思いも込めて、書かせて頂いた天地書附であります。