喜怒哀楽。
表に出したり、心の内にしまい込んだり。
顔で笑って、心で泣いて。
本音と建て前。
そういった言葉たちもあります。
先月に続き、今月も1泊の研修会に参加させて頂きました。
改めて、自分の中でわき起こるものと、
相手の中でわき起こっているものと。
見える距離と、見えない距離で、
そのことを言おうか言うまいかというのがあって。
聞き出そうという努力も必要な場合もありますが、
聴く姿勢ということも大切な要素であります。
2回の研修会に参加させて頂いて、
自分自身が言えないでいることも含めて、
色々と考えさせられた、とても充実した研修会でした。
2014年7月16日水曜日
2014年3月6日木曜日
工夫。
ふと、バッティングセンターについて調べてました。
そうしましたら、バッティングセンターなるものは、
日本という国土の狭さが生んだものだとか。
アメリカにもバッティングセンターはあるようですが、
それよりはゲームが出来る場所、球場が多いようです。
野球を楽しむための方法として、何が出来るか。
どうすれば出来るか。
ものづくりに長けた日本人ならではの、努力の結晶ですね。
そうしましたら、バッティングセンターなるものは、
日本という国土の狭さが生んだものだとか。
アメリカにもバッティングセンターはあるようですが、
それよりはゲームが出来る場所、球場が多いようです。
野球を楽しむための方法として、何が出来るか。
どうすれば出来るか。
ものづくりに長けた日本人ならではの、努力の結晶ですね。
2014年2月3日月曜日
料理。
最近、料理をするようになってきました。
誰かにご馳走できるというレベルではありませんが。
こう「温かいものを食べさせてあげたい」という気持ちは、
何か、そのまま神心のような思いがしております。
料理というのは、とても複雑な工程を踏んでいます。
それこそ買い物から始まったり、
冷蔵庫を開けて「(残り物から)これが作れそうだ」と。
イメージしながら、その工程を進めていくわけですね。
出来上がりへと結びつけていくわけです。
「ちょっとした一手間」がテクニックとしてテレビでもよく取り上げられています。
ちょっとした気遣いとも言えるような気がします。
もっと美味しくなるように、と腕をふるう料理というもの。
自分自身に、という一人暮らしの方もいらっしゃることでしょう。
信心においても、ちょっとした取り組みが大切であるように感じます。
誰かにご馳走できるというレベルではありませんが。
こう「温かいものを食べさせてあげたい」という気持ちは、
何か、そのまま神心のような思いがしております。
料理というのは、とても複雑な工程を踏んでいます。
それこそ買い物から始まったり、
冷蔵庫を開けて「(残り物から)これが作れそうだ」と。
イメージしながら、その工程を進めていくわけですね。
出来上がりへと結びつけていくわけです。
「ちょっとした一手間」がテクニックとしてテレビでもよく取り上げられています。
ちょっとした気遣いとも言えるような気がします。
もっと美味しくなるように、と腕をふるう料理というもの。
自分自身に、という一人暮らしの方もいらっしゃることでしょう。
信心においても、ちょっとした取り組みが大切であるように感じます。
2014年1月14日火曜日
選択。
寒い冬を迎えておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
改めまして、本年もよろしくお願いいたします。
さて、今日の職場で勉強会なるものがあったのですが、
そこである方から、こんなコメントがありました。
何かモノをもらう時に、つい「すみませ~ん」と言ってしまうけど、
「ありがとう」の方が自分の気持ちを伝えているような感じがします。
イメージとして、日本人の美徳というか、謙虚さみたいなことで
「すみません」の方が一般的であるような感じがします。
英語のことは詳しくないのですが「Thank you」というのが普通かと思います。
直訳としては「(あなたに)ありがとう」と。
相手に対して、謙ってでなく(時と場合によるのでしょうが)、御礼を伝える。
感謝の気持ちとしても、嬉しい方を、喜ばれる方を選んでいきたいものです。
改めまして、本年もよろしくお願いいたします。
さて、今日の職場で勉強会なるものがあったのですが、
そこである方から、こんなコメントがありました。
何かモノをもらう時に、つい「すみませ~ん」と言ってしまうけど、
「ありがとう」の方が自分の気持ちを伝えているような感じがします。
イメージとして、日本人の美徳というか、謙虚さみたいなことで
「すみません」の方が一般的であるような感じがします。
英語のことは詳しくないのですが「Thank you」というのが普通かと思います。
直訳としては「(あなたに)ありがとう」と。
相手に対して、謙ってでなく(時と場合によるのでしょうが)、御礼を伝える。
感謝の気持ちとしても、嬉しい方を、喜ばれる方を選んでいきたいものです。
2013年12月16日月曜日
余白。
「余白」というものが必要な場合があります。
もう一息とか、物足りなさとか、
そういった、あとちょっとの部分が足りない。
しかしながら、それは楽しみな部分でもあります。
絵画で言えば、油絵という、塗り重ねていく作品というものもありますが、
真っ白なキャンバスにおいて、描いていくという部分。
ここで、余白を活かすという技法もあります。
常々、人は完璧を求めます。
「もっと、できたのではないか」と。
しかしながら、人生なり仕事なりでは、その連続であるように思います。
自らの至らなさ、というところで、
成長を自らに課していく、ということでは、
必要なことかと思います。
そうとして、なかなか上手くいかないことの方が多い。
このところ、ようやくですが、
足りない部分を足させて頂くということとして、
伸びしろを楽しみにさせて頂くということが、
時には大切なこともあるのではないか、と考えるようになりました。
神様のなされること。
自分なりに余裕がなければ、入れることのできる余地はありません。
描き方として、1つの方法として、という
あくまで個人的な考え方でありますが。
完璧主義は時に自分や相手に苦しさを助長させることもあります。
自分のこととして、時に、他人事のように
全体を俯瞰できるような視点。
それも必要なことのように感じます。
神様に心を向けつつ、自分に優しくありたいと感じる、
年の瀬の今日この頃です。
もう一息とか、物足りなさとか、
そういった、あとちょっとの部分が足りない。
しかしながら、それは楽しみな部分でもあります。
絵画で言えば、油絵という、塗り重ねていく作品というものもありますが、
真っ白なキャンバスにおいて、描いていくという部分。
ここで、余白を活かすという技法もあります。
常々、人は完璧を求めます。
「もっと、できたのではないか」と。
しかしながら、人生なり仕事なりでは、その連続であるように思います。
自らの至らなさ、というところで、
成長を自らに課していく、ということでは、
必要なことかと思います。
そうとして、なかなか上手くいかないことの方が多い。
このところ、ようやくですが、
足りない部分を足させて頂くということとして、
伸びしろを楽しみにさせて頂くということが、
時には大切なこともあるのではないか、と考えるようになりました。
神様のなされること。
自分なりに余裕がなければ、入れることのできる余地はありません。
描き方として、1つの方法として、という
あくまで個人的な考え方でありますが。
完璧主義は時に自分や相手に苦しさを助長させることもあります。
自分のこととして、時に、他人事のように
全体を俯瞰できるような視点。
それも必要なことのように感じます。
神様に心を向けつつ、自分に優しくありたいと感じる、
年の瀬の今日この頃です。
2013年10月10日木曜日
体の丈夫
体の丈夫を願え。体をつくれ。何事も体がもとである。
心技体、という言葉があります。
高校野球をしていた時、当時の監督さんが
「順番としては体技心だ」と仰ってました。
先ずは体をつくること。
それから、技術を磨くこと。
そうすれば「自ずと心は鍛えられる」と言われました。
安心へ向かうために、
先ずは体調を整えていくこと。
それを願っていくこと。
出来ることがあるようです。
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