さて、私は最近「六秒」というものを意識しています。
あるテレビ番組で元サッカー選手の前園さんが
「アンガーマネジメント」というものを紹介されたことがありました。
アンガーは怒りを指します。
その基本的な考えとして「怒りは最初の六秒間」というものがあります。
怒りが芽生えたとしても、六秒間我慢すると落ち着いてくるものらしいです。
ですので、カチンと来た時に、その六秒間をどう過ごすかに目を向けます。
「今、怒りが出ている。六秒間様子を見てみよう」と
冷静に自分を眺めてみる―事象を分析してみると、
また別の思考が生まれてくるようです。
人間は感情の動物と言われていますし、
喜怒哀楽は人間に必要な感情です。
怒りや哀しみはなるべく避けたいものですが、
同時に人間らしさを形成するものでもあります。
感情が動くのはしょうがないことです。
アンガーマネジメントでは、怒りは怒りとして、
その後をどう対処するかに目を向けています。
その怒りに自分が出会った時での六秒間。
私はこの「六秒」を「神様に心を向ける時間としてみたらどうだろうか」
というふうに捉えて、現在進行形で取り組んでいて、実験の真っ最中です。
衝動に駆られることがあります。そんな時こそ、より神様を意識する。
「神様から六秒間の猶予をいただいているんだ」と考える。
先ず、心の中に神様の働きを受け取ろうとする前段階での態勢を考える。
そしてバランスが崩れているわけですから、次に体勢づくりをする。
物事への初動として二段階、二段構えが必要ではないかと思います。
2016年2月14日日曜日
2016年2月2日火曜日
大きく。
最近ある言葉を知りました。
大根はいびきをかいて育ち、白菜はあぐらをかいて育つ
この言葉はいつ、誰が言い出したかは分かってはいません。
ただ、著名な詩人である高村光太郎さんの
『ブランデンブルク』という詩にある
「三畝のはたけに草は生えても
大根はいびきをかいて育ち
葱白菜に日はけむり
権現南蛮の実が赤い。
という部分が変化してのもの、みたいです。
ちなみにブランデンブルクはバッハの協奏曲を指します。
高村光太郎さんがブランデンブルク協奏曲を聴く中で、
情景を思い浮かべての詩です。
畑に草は生えても、大根はいびきをかいて、白菜はあぐらをかいて育っていく。
雑念に苛まれますが、願い手、祈り手として、
どこを捉えさせていただくべきか。
事柄を通して大きく育つもの―見逃さないようにしていきたいものです。
大根はいびきをかいて育ち、白菜はあぐらをかいて育つ
この言葉はいつ、誰が言い出したかは分かってはいません。
ただ、著名な詩人である高村光太郎さんの
『ブランデンブルク』という詩にある
「三畝のはたけに草は生えても
大根はいびきをかいて育ち
葱白菜に日はけむり
権現南蛮の実が赤い。
という部分が変化してのもの、みたいです。
ちなみにブランデンブルクはバッハの協奏曲を指します。
高村光太郎さんがブランデンブルク協奏曲を聴く中で、
情景を思い浮かべての詩です。
畑に草は生えても、大根はいびきをかいて、白菜はあぐらをかいて育っていく。
雑念に苛まれますが、願い手、祈り手として、
どこを捉えさせていただくべきか。
事柄を通して大きく育つもの―見逃さないようにしていきたいものです。
2016年1月4日月曜日
修正ペン。
最近は便利な文房具が増えました。
とりわけ間違えた時に使用する修正テープはまっすぐ引けますし、
すぐに上から書けるので重宝しています。
もちろん、細かな修正にはペン先の細い修正ペンが便利です。
間違えた部分によって使い分けをしています。
新春に見たテレビ番組で、
ある漫画家が修正ペンを巧みに使って漫画を完成させているシーンがありました。
その漫画家さん曰く、「修正ペンで描いている部分もある」と。
漫画は鉛筆で下書きなどをして、ペン入れをして完成となります。
ペン入れとは、インクをGペンなどで描き入れる作業です。
ここで作品に命を吹き込むことになります。
しかしながら、その漫画家さんは修正ペンの凸凹や滲みをも利用して
線や円を描いていくそうです。
私は目からウロコが落ちる思いでした。
それは、修正する箇所というのは間違えた部分であり、
隠したいことでもあると感じていたからです。
修正ペンで描くという発想はありませんでした。
すると、これまでの自分がボールペンと修正ペンとで扱いを
別にしてしまっていたことに気づきました。
修正ペンを使う時は「あぁ、また間違えた」と、
イライラと共に使うことが多く、
忙しい時などは使った後の扱いもヒドイもので(苦笑)
そんなモノに対しての自分の気持ちに気づかされました。
修正ペン自身は常におそるおそる登場しているのではないか―
なんてことも頭の中でちらつきました。
使い手次第で意味合いが変わってきます。
漫画家が描き直してきた原稿の凸凹。
そこから出会うべき直線や曲線は、ひと味違ったものになります。
修正箇所が乾かずにできた滲みも武器になるのです。
もちろん、原稿に描き入れる前の準備や努力があってのことですが、
行き着いた間違えはただの間違えではなく、
そこからの閃きからアイデアが生まれてくることもあります。
間違えたことを単に「教訓」ということでだけでなく、
その奥行きや広がりを見ていきたい―
そう感じる、今年の幕開けです。
語弊があるかも知れませんが、
信心の使い手としては、おかげの中での出来事と捉えていけるかどうか―でしょうか。
とりわけ間違えた時に使用する修正テープはまっすぐ引けますし、
すぐに上から書けるので重宝しています。
もちろん、細かな修正にはペン先の細い修正ペンが便利です。
間違えた部分によって使い分けをしています。
新春に見たテレビ番組で、
ある漫画家が修正ペンを巧みに使って漫画を完成させているシーンがありました。
その漫画家さん曰く、「修正ペンで描いている部分もある」と。
漫画は鉛筆で下書きなどをして、ペン入れをして完成となります。
ペン入れとは、インクをGペンなどで描き入れる作業です。
ここで作品に命を吹き込むことになります。
しかしながら、その漫画家さんは修正ペンの凸凹や滲みをも利用して
線や円を描いていくそうです。
私は目からウロコが落ちる思いでした。
それは、修正する箇所というのは間違えた部分であり、
隠したいことでもあると感じていたからです。
修正ペンで描くという発想はありませんでした。
すると、これまでの自分がボールペンと修正ペンとで扱いを
別にしてしまっていたことに気づきました。
修正ペンを使う時は「あぁ、また間違えた」と、
イライラと共に使うことが多く、
忙しい時などは使った後の扱いもヒドイもので(苦笑)
そんなモノに対しての自分の気持ちに気づかされました。
修正ペン自身は常におそるおそる登場しているのではないか―
なんてことも頭の中でちらつきました。
使い手次第で意味合いが変わってきます。
漫画家が描き直してきた原稿の凸凹。
そこから出会うべき直線や曲線は、ひと味違ったものになります。
修正箇所が乾かずにできた滲みも武器になるのです。
もちろん、原稿に描き入れる前の準備や努力があってのことですが、
行き着いた間違えはただの間違えではなく、
そこからの閃きからアイデアが生まれてくることもあります。
間違えたことを単に「教訓」ということでだけでなく、
その奥行きや広がりを見ていきたい―
そう感じる、今年の幕開けです。
語弊があるかも知れませんが、
信心の使い手としては、おかげの中での出来事と捉えていけるかどうか―でしょうか。
2015年11月23日月曜日
一瞬。
昨日の生神金光大神大祭でのこと。
ご参列いただいた先生方が多く、私は祭事係の御用をさせていただいてました。
祭主のマイクの音量を調整しようと、音響設備の所へ行きました。
すると、いつも音響の御用をお願いしている方が一生懸命ご祈念をされていました。
後で聞いた話なのですが、電子ピアノのコンセントの調子が悪く、
ビニールテープで巻き付けて…の状況だったそうです。
その方は、祭典中の歌の場面で、電子ピアノがきちんと鳴るようにご祈念されていました。
その一瞬に音が出るかどうか。
その心配を抱えて、ご祈念をしつつ、祭典に臨まれていました。
改めて、祭典の一瞬一瞬が大切な時間であり、
その空間を共有できたことが、とてつもなく有難いと感じました。
そういった場面に出会えたこと、
後で聞いて分かったとしても、御用としての心構えを教えていただいたように思います。
ご参列いただいた先生方が多く、私は祭事係の御用をさせていただいてました。
祭主のマイクの音量を調整しようと、音響設備の所へ行きました。
すると、いつも音響の御用をお願いしている方が一生懸命ご祈念をされていました。
後で聞いた話なのですが、電子ピアノのコンセントの調子が悪く、
ビニールテープで巻き付けて…の状況だったそうです。
その方は、祭典中の歌の場面で、電子ピアノがきちんと鳴るようにご祈念されていました。
その一瞬に音が出るかどうか。
その心配を抱えて、ご祈念をしつつ、祭典に臨まれていました。
改めて、祭典の一瞬一瞬が大切な時間であり、
その空間を共有できたことが、とてつもなく有難いと感じました。
そういった場面に出会えたこと、
後で聞いて分かったとしても、御用としての心構えを教えていただいたように思います。
2015年10月5日月曜日
俯瞰。
好きな言葉です。
書けるかと言われたら難しい漢字です。
全体を俯瞰する。
上から全体を眺める。
英語だと
bird’s-eye view とも言われる。
鳥瞰図、と書くと分かりやすいかと。
「ぼんやりと」とはこんなイメージ。
脱力的なイメージよりは、
【眺めてみる】という視点も持ちたいという思いから。
リラックスというのも、
集中を別に分散する前提があってのもの。
そんな気もしてます。
そもそも描く、描いていた全体像は何だったのか―。
なかなか物事が進まないと、目の前のことに追われてしまいます。
「ぼんやりと」はゴール(目的)に向けての、
自分なりの「キーワード」として、大切にしています。
そうとして、忙しいと忘れがちになってしまいすが。。。
鳥のように、空から眺めてみる。
悩みというのも、全体図からは必要なことかも知れません。
さて、10月。◯◯の秋。
何かやっていこうと思います。
ちなみに「かつがつと」は【不十分ながらも】という意味です。
書けるかと言われたら難しい漢字です。
全体を俯瞰する。
上から全体を眺める。
英語だと
bird’s-eye view とも言われる。
鳥瞰図、と書くと分かりやすいかと。
「ぼんやりと」とはこんなイメージ。
脱力的なイメージよりは、
【眺めてみる】という視点も持ちたいという思いから。
リラックスというのも、
集中を別に分散する前提があってのもの。
そんな気もしてます。
そもそも描く、描いていた全体像は何だったのか―。
なかなか物事が進まないと、目の前のことに追われてしまいます。
「ぼんやりと」はゴール(目的)に向けての、
自分なりの「キーワード」として、大切にしています。
そうとして、忙しいと忘れがちになってしまいすが。。。
鳥のように、空から眺めてみる。
悩みというのも、全体図からは必要なことかも知れません。
さて、10月。◯◯の秋。
何かやっていこうと思います。
ちなみに「かつがつと」は【不十分ながらも】という意味です。
2015年9月18日金曜日
関東・東北豪雨
先日、栃木県へお見舞いに行ってきました。
途中、小学校の校庭を消毒していたこと。
ガレキ置き場となっていた広場に集積された、その量。
消毒剤とガレキの臭い。
何とも言えないニオイでした。
この度の大雨については
「平成27年9月関東・東北豪雨」という
名称となったようです。
特に被害の大きかった常総市では、
復興までしばらくかかると思います。
微力ながらも、復興を願います。
途中、小学校の校庭を消毒していたこと。
ガレキ置き場となっていた広場に集積された、その量。
消毒剤とガレキの臭い。
何とも言えないニオイでした。
この度の大雨については
「平成27年9月関東・東北豪雨」という
名称となったようです。
特に被害の大きかった常総市では、
復興までしばらくかかると思います。
微力ながらも、復興を願います。
2015年8月4日火曜日
暑中お見舞い申し上げます。
ずーっと暑いですね。
夏バテには気をつけなければと思います。
夏バテのメカニズムに詳しいわけではないのですが、
恒常的な疲れを見逃さないようにと思います。
暑さに対して身体は頑張っているわけです。
ですので、プラスαで疲労は蓄積します。
冬の寒さも然り。
春夏秋冬、季節の変わり目にも、
身体は反応し、対応しようと働きます。
自分が意識している以上に、
身体が疲れている時があります。
脳が追いつかない、把握できていない疲労分。
身体のケアを大切に。
そしてメンタル的にも、疲れを労うように心がけましょう。
自らに言い聞かせている部分が多分にありますが。
どうぞ御身ご大切にお過ごしください。
夏バテには気をつけなければと思います。
夏バテのメカニズムに詳しいわけではないのですが、
恒常的な疲れを見逃さないようにと思います。
暑さに対して身体は頑張っているわけです。
ですので、プラスαで疲労は蓄積します。
冬の寒さも然り。
春夏秋冬、季節の変わり目にも、
身体は反応し、対応しようと働きます。
自分が意識している以上に、
身体が疲れている時があります。
脳が追いつかない、把握できていない疲労分。
身体のケアを大切に。
そしてメンタル的にも、疲れを労うように心がけましょう。
自らに言い聞かせている部分が多分にありますが。
どうぞ御身ご大切にお過ごしください。
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