2008年5月15日木曜日

茶道練習会

毎年、初釜をはじめ、1月を中心にボランティア活動をしておりましたが、
このたび、茶道の練習会がはじまりました。
ひとつひとつの動きに、
皆さん、真剣に取り組んでおられました。

もてなしの心とでもいうのでしょうか。

足の運び方やお椀の置き方、拭き方から回し方まで、それぞれに理由があり、

改めて茶道というものの奥深さを知ることができました。

2008年5月4日日曜日

渋滞ならではの


帰り道でいつも使っている裏道。
見事に渋滞にはまりました。片側交互通行でした。
停車中に写真を撮ってみて、送電線ってスゴイなぁとか思ったり。
川岸にはゴルフコース。声は聞こえないけど白い歯がこぼれていて。
風に揺られる水面の波形が均等に伸びていって、
いつの間にかなくなってしまったなぁ…。
そんなこと考えていたら、クラクションを軽く鳴らされて、
ニュートラルからドライブモードへ。
ちょっと進んでまた止まって。今度は違う景色になって。
次はクラクションを鳴らされないように、ちょっと斜め前を見る感じでぼんやりと。
高速道路ではこうはいかないですが、信号待ちにはない、
この待ち方も楽しみたいものです。
毎回こう思えたら良いのでしょうけど、まだまだ人間ができておりません。
「損をした」と思ったら、損をしたまでのこと。
「いつもと違う風景を見られた」と思ったら、発見までがついてくる。
プラスとまではいなかくても“ややプラス”を蓄積していきたいものです。

2008年5月1日木曜日

雨後の筍

食べるのには成長し過ぎたものですが…
採らないと、どこまでも根が広がってしまうこともありまして…

地面の下に根を張り巡らせて、
雨後には一斉に地面に顔を出す筍。
中にはコンクリートを持ち上げているものもありました。
竹の子どもを食べようなんて、誰が始めたんでしょうかね。
動物が食べているのを見てから、食べるようになったとか聞きます。
「食物」はそれぞれにいのちを繋いで、
それを紡いで私たちは生きていることになるわけですね。
改めて、筍の、その驚異的な生命力に、
「人間としての生きる力は近づけているのだろうか」とか、
そんなことを考えた初夏を思わせる日でございました。

2008年4月25日金曜日

車椅子ボランティア

車椅子を押すボランティアに、芝桜公園に行ってきました。
金光教やつなみボランティアという団体で登録しています。
ちょうど見頃で、楽しませてもらいました。
斜面に作られていたので、坂道はけっこうしんどかったです。
休憩時に、フルーツミックスジュースをいただきました。
親切なシェフがわざわざ届けてくださった一こま。
暖かい日で、冷たいジュースも美味しかったです。

2008年4月19日土曜日

境内の八重桜

境内の八重桜です。大雨と強風にも花は残ってくれました。

一般的な桜と違って、ひとつの箇所にまとまって花をつけるのが特徴でしょうか。
その特徴のおかげで花が残った感じです。
毎年、桜吹雪となってから花をつけ始め、目を楽しませてくれています。

2008年4月11日金曜日

切り絵の世界

今日は知り合いの作品を見に行ってきました。
切り絵を始めて3年くらいとのこと。
「まだまだ」とは仰いましたが、素晴らしい作品を見ることができました。
残念ながら撮影禁止のため、写真は掲載できませんです。
黒を背景に、絵が浮かんで見える技法や
白を背景に黒のみで作られたもの。
また、和紙をブラッシングでぼかしたものなど、作風もいろいろあり、
水彩画や油絵かと見間違うものもありました。
スケッチしたものも、切り絵で作るというのが一般的なようです。
つまりは、切り絵を作るのに、2回絵を描いているわけですね。
1ヶ月~3ヶ月かかる作品もあるようです。
絵心がなく、手先が不器用な私には到底できない技、
いや「業」という思いがいたしました。

線が作り上げる、独特の世界観。
補い補い作るのでなく、活かし活かし作っていく。
切り絵を見ながらそんなことを思い浮かべました。
今、間違って描いたこの線も、どこかで、何かで活かせるのではないか―。
重ね重ね作る切り絵を見ながら、
考え方の切り口も垣間見ることができたように思います。

2008年4月1日火曜日

勧学祭

3月30日、勧学祭が仕えられました。
勧学祭は園児、児童、学生の、ここまでの御礼と、
これからの健やかな成長と学業成就、交通安全を祈願する祭典です。
例年4月に行いますが、今年は曜日の関係で3月末に行いました。
祭典後に、それぞれが思い思いにトッピングをしたピザをいただきました。



ピザの生地が神様だとして、

ピザソースがご先祖様、子どもたちがピザの具、そしてチーズが親。

改めてピザを眺めてみて、そんなことを考えました。

祖先が居て、自分たちが居る。具を結びつけるチーズの役割を親が担う。

子どもたちは子どもたちで、「自分が」とならずに、

周囲に配慮しながらも「自分を」伝えられるように。

どれかの味が主張し過ぎては、味全体が壊れてしまいます。

生地が学校で、教材がソースで、様々な具の子供たちがいて、チーズが先生。

そんな考え方もできるかも知れません。

何かに出会った時に、それが生きるヒントに繋がるよう、願っています。

それは皆さんにも、僕自身にも言えることです。