教会で茶道教室を行っています。
僕も都合がつけば参加してます。
さて、写真の茶碗、下の部分が欠けてます。
これは萩焼の特徴らしく、
今では見られないようになったとのこと。
そして、こんな作りになったのには、
次のような説もあるそうです。
その昔、殿様が利用されていた物との区別をするため、
町民が使用する物は、わざわざ欠けさせていたとか。
「これは欠けていまして駄作であります」
「殿様と同じものではありません」
といった感じで。
そういう話もある、といったレベルでのことですが、
最初に思いついた人はスゴイなぁって思います。
どうしたら、みんなで使うことができるのか。
そして考えた結果が、
使用する際も支障が出ない場所を欠けさせる、というもの。
ダメな理由を探すのではなく、どうしたらできるのか。
考え方として、
先ずそこに目を向けたところが素晴らしいなぁと思います。
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